親や親しい人との別れは、人生のなかで最も辛いことです。悲しすぎて考えたくもない、それが普通だと思います。
でも、そんな辛い時間を、自分はかけがえのない大切な時間だと思っています。なぜ自分は、一番悲しくて辛い時間なのに、肯定的にとらえているのか自問してみると、私の父との別れの記憶がその元になっていると気がつきました。
私の父は、私が22歳の時にこの世を去りました。57歳でした。父は外科医で、激しい人でした。父親と遊んだり、楽しい時間を過ごした記憶はありません。まだ社会に出てもいなかったから当たり前なのかもしれませんが、父親になかなか認めてもらえず、わだかまりばかりの関係でした。
私にとっては、唐突にやってきた別れでした。今は自分が医者なので、当然のなりゆきとして最期を描けたのでしょうが、当時の私にはそんなことを考えることもできませんでした。永遠に修復できない関係がいきなり突きつけられた気がしました。父を失ってから、もっと良い関係を築きたいと思っていた自分に気がつきました。でも、そんな父が、最後の最後に「あとは頼んだぞ」と言葉を残してくれたのでした。本当にこの言葉にどれだけ救われたかわかりません。
大学病院の集中治療室で、面会時間は十分程度だったと思います。普段、父親と面と向かって話をすることもなかったため、何を話したらいいかわかりませんでしたし、重病で体を動かすこともできない病人にどう言葉をかければ良いのかもわかりませんでした。看護師さんには、状況がわかっていたのでしょう。時間を過ぎても「まだいてもいいよ」と声をかけてくれましたが、居心地の悪さから解放されたくて、病室を後にしてしまいました。時間が長ければ良いというものでもないと思いますが、意識があるうちに、無言でもいいから手を握って、一緒にいる時間を噛み締めればよかったと後悔しています。そうは言っても、22歳の自分には到底無理な話だとも思うのですが...。
この世を去らなければならない父が、残される家族にできるのは、託すことだけだったのでしょう。だから、「後は頼んだぞ」なのだと理解しています。自分にとっては、本当にありがたい言葉です。どんなに頼りない子供でも、間違っているように見えたとしても、全てを受け入れて、任せる、委ねる。それが永遠の承認になるのだと思います。そうやって、自分もこの世を去っていけたらと思っています。
わずかな言葉でも、それを糧に出来ると思っています。
わずかな時間でも、かけがえのない時間になると思います。
私にとっては、父からの承認がとても大切だったので、父とのわずかな時間で、半ばそれを達成できたような形をとりました。そういう意味で、私にとっては、いい形で父と別れられたのかもしれません。
母との別れは、5年前になります。父とは違う形で、かけがえのない時間を過ごしました。脳梗塞や腰椎圧迫骨折、肺癌、呼吸障害など、様々な病気を患って迎えた最期でした。自分の家で、自分が主治医で、治療方法も全て選べる反面、自分が母親に辛い思いをさせていないかと、葛藤が続きました。
母親が安楽でいてくれることを一番に考えていましたが、それは、少しでも長く生きていて欲しいという思いと相容れないこともありました。本当に身をすり減らす思いでした。何かあるたびに母の気持ちを聞き取って、それに沿うように対応を決めていきました。ああすればよかった。こうすればよかったと思うこともありますが、少しでも母の力になれる自分でよかったと思ったのを覚えています。1日1日、1つ1つの思い出が、自分の宝物です。
母が辛い時に、一緒に笑い、一緒に泣いたその時間が、自分の人生に意味を与えてくれているのだと思います。
人間関係、親子関係は、本当に人それぞれです。親からの承認を渇望している人もいれば、ただ穏やかな時間を望む人もいますし、親と子の役割が逆転している家庭もあります。様々な過去の結末として現在があるのだと思います。私自身の価値観を押し付けるのではなく、患者さんとご家族が費やしてきた時間の重さを尊重し、それぞれにとってより良い選択ができるように関わることが大切だと思っています。
そんな大切な時間を後悔なく過ごせるように、一人一人、誠意を持って丁寧にかかわりたいと思っています。
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